それはハッピーエンドなんだ

フリーランスを卒業して起業した30代独身男の、写真と音楽と旅と日常の記録。

写真のアレ・ブレ・ボケをどう考えるか|フィルムカメラで写る「失敗」と「表現」の境界線


フィルムカメラで撮影したアレ・ブレ・ボケを感じる写真

今回は、写真のアレ・ブレ・ボケについて書いていきます。

フィルムカメラで写真を撮っていると、粗い写真、ブレた写真、ピントが合っていない写真がどうしても出てきます。

いわゆる「失敗写真」として扱われることもありますが、僕はこのアレ・ブレ・ボケにかなり魅力を感じています。

もちろん、すべてのブレやボケが良いわけではありません。

ただ、その写真に自分なりの理由や感情があれば、それは単なる失敗ではなく、表現になることもあると思っています。

この記事では、過去に撮影した写真を交えながら、フィルムカメラで起きるアレ・ブレ・ボケをどう考えるか、そして写真における「失敗」と「表現」の境界線について書いていきます。

カメラは、目の前の景色を写す機械であると同時に、自分自身を写す機械でもあるのかもしれません。

 

 

愛すべきフィルムカメラのアレ・ブレ・ボケ

ピントが合っていないフィルム写真の作例

ボケ

 

このブログでは、あまり難しいことは書かない、というか書けないので、なるべく自分の言葉で写真について書いています。

今回のテーマは、フィルムカメラやコンパクトフィルムカメラで撮影しているとよく起きるアレ・ブレ・ボケについてです。

 

アレ:粗い写真

ブレ:ブレている写真

ボケ:ピントが合っていない写真

 

写真を撮っている人なら、一度は経験があると思います。

現像から返ってきた写真を見て、「あれ、思っていたよりブレてるな」とか、「ピント外してるな」とか、「ちょっと粗いな」と思う瞬間。

デジタルカメラやスマホであれば、その場で確認して撮り直すことができます。

でもフィルムカメラの場合、現像するまで仕上がりがわかりません。

だからこそ、アレ・ブレ・ボケも含めて、フィルム写真の面白さになっていると思うんです。

 

もちろん、依頼撮影や記録写真として「きちんと写っていること」が重要な場合は、アレ・ブレ・ボケは避けたい要素になります。

でも、スナップ写真や作品づくりにおいては、それが写真の魅力になることもある。

僕はそう考えています。

 

アレ・ブレ・ボケをどう捉えるかは撮り手次第

動きのあるブレを感じるフィルム写真

飛ぶ

 

スナップ的に写真を撮っていると、フィルム1ロールにつき、数枚は粗い写真、ボケた写真、ブレてしまった写真が出てきます。

それを「失敗」として処理するのか。

それとも、その躍動感を「これはこれで良い」と捉えるのか。

ここは撮り手の考え方次第で変わります。

 

ちなみに、僕はアレ・ブレ・ボケが好きです。

むしろ、あえてブレさせたり、ピントを少し外したり、スローシャッターで人物を撮ったりすることもあります。

コンパクトフィルムカメラであれば、自分が歩きながらシャッターを切ることもあります。

 

きっちり止まっている写真ではなく、少し揺れている写真。

はっきり見えている写真ではなく、どこか曖昧な写真。

それは、記憶の見え方に近いのかもしれません。

 

人の記憶って、全部が高画質で残っているわけじゃないですよね。

大切な日でも、細部はぼやけていたり、色だけ覚えていたり、光だけ覚えていたりする。

そういう意味で、アレ・ブレ・ボケのある写真は、記録というより記憶に近い写真なのかもしれません。

 

アレ・ブレ・ボケにも良し悪しがある

フィルムカメラで撮影した壁の写真

 

とはいえ、アレ・ブレ・ボケの写真が全部良いわけではありません。

ここはかなり大事なところです。

 

ストリートスナップを撮っていると、意図しない場面で大きくブレてしまったり、見せたいものがはっきりあったにもかかわらずピントを外してしまったりすることがあります。

そういう写真は、やっぱり「失敗」になることもあります。

 

ただ、実際には現像して仕上がった写真を見て、

「これはこれでありだなぁ」

と思うこともあります。

それが写真のおもしろいところです。

 

撮った瞬間は失敗だと思っていた写真が、時間が経つと急に良く見えることがあります。

逆に、撮った瞬間は最高だと思っていた写真が、あとで見返すとそこまででもなかったりする。

写真は不思議です。

 

個人的には、意図せず撮れた写真も「かわいい一枚」として愛することができたら、もっと写真が楽しくなると思っています。

写真に対するストライクゾーンは、広い方が楽しい。

ただし、何でも良いという意味ではありません。

作品として見せるなら、なぜそれを選ぶのか、自分の中で理由を持っておくことは大事だと思っています。

 

作例:これは無しだと思ったアレ・ブレ・ボケ写真

ブレが強すぎて失敗と感じたフィルム写真の作例

無し

 

この写真は、個人的にはちょっとやりすぎだと思っています。

だから、これは「無し」です。

びよーんってなりすぎています。

 

もちろん、見る人によっては「これはこれで良い」と思うかもしれません。

でも、少なくとも僕の中では意図していなかったブレ方でした。

そのため、これはボツです。

 

アレ・ブレ・ボケを肯定しているからといって、全部を肯定するわけではありません。

自分の中で、これは違うなと思う写真もあります。

この線引きはとても感覚的ですが、写真を続けていると少しずつ自分の判断基準が見えてきます。

 

作例:これは有りだと思ったアレ・ブレ・ボケ写真

BLURというタイトルをつけたブレを活かしたフィルム写真

有り

 

こちらの写真は「有り」の写真です。

自分でも気に入っていて、額装にもしたぐらいお気に入りの一枚です。

タイトルは「BLUR」。

まさしく、ぼんやりと揺れたような写真を撮りたくて、フィルムカメラで少し揺らして撮影しました。

 

夜道の光が揺れていて、記憶の中の景色みたいに見える。

これは、きっちり写っていないからこそ良い写真だと思っています。

 

写真って、正確に写っていれば良いというものでもないんですよね。

もちろん、正確に写す力は大切です。

でも、正確さだけでは出せない感情や空気もあります。

この写真には、そういう揺らぎがあると思っています。

 

アレ・ブレ・ボケを撮るなら、言語化できる方がいい

高速PAで友人を撮影したフィルム写真

友人と高速PAで

 

僕は写真に対して、言語化できることを重要だと考えています。

なぜこの写真が撮れたのか。

なぜこの写真を良いと思ったのか。

なぜこのブレは有りで、なぜこのボケは無しなのか。

そういったことを、自分の中で少しでも言葉にできる方が良いと思っています。

 

「なんとなく撮れた」

これも実際にはあります。

スナップ写真なんて、なんとなく撮っている瞬間がたくさんあります。

ただ、それで終わらせるのではなく、あとから見返したときに、環境、状況、光、距離、装填していたフィルム、シャッタースピード、自分の気分などを整理してみる。

そうすると、なぜその写真が撮れたのか、少しずつ見えてきます。

 

その理解を自分の中に落とし込む。

次に同じような表現をしたいときに、意図的にシチュエーションを作り出す。

これがとても大事だと思っています。

 

撮った写真にたくさん触れて、頭で理解して、手で動かす。

現場で指に伝える。

これが写真の上達には大切なのではないかと思っています。

 

だから、アレ・ブレ・ボケの写真も、なぜそれを良いと思うのか言語化できなければ、ある意味ではまぐれに近いのかもしれません。

もちろん、まぐれも写真の面白さです。

でも、まぐれをまぐれのままで終わらせず、次に繋げられたらもっと楽しい。

僕はそんな風に考えています。

 

アレ・ブレ・ボケ有り派と無し派

アレ・ブレ・ボケを感じるフィルムスナップ写真

 

本当に、撮り手によって有り派と無し派に分かれると思います。

ビートルズでいう、ジョン派かポール派かがあるみたいに。

でも、まぁ全部写真です。

写真の話なので、ひっくるめて写真として愛せたらいいですね。

 

写真というのは、自分の頭の中がまるっと表現されてしまうものだと思っています。

目の前の景色を撮っているようで、実は自分の見方を撮っている。

自分の瞳にはこう見えていますよ。

自分の心にはこう写っていますよ。

そんな発表会を、一枚一枚しているようなものなのかもしれません。

 

だから、アレ・ブレ・ボケ写真って、その人にはそう見えているということなんだと思うんです。

僕の瞳には、きっと少しブレて、少しボケて、少し粗く見えている。

それがノスタルジックな雰囲気に繋がったり、断片的な記憶のような一枚になったりする。

 

もし僕がもっとカチッと、キチッとした人間だったら、そういう写真は撮らないのかもしれません。

でも、どこか粗くて、ゆらゆらしていて、ぼんやりしている。

たぶん、僕はそんな人です。

 

だから、写真は自分を写す機械なんだと思います。

 

アレ・ブレ・ボケを楽しむならフィルムカメラは相性がいい

アレ・ブレ・ボケを楽しむなら、フィルムカメラはとても相性が良いと思います。

なぜなら、フィルムカメラは完璧に撮れないことも含めて楽しいからです。

ピントを自分で合わせる。

露出を考える。

フィルムを選ぶ。

現像するまで仕上がりがわからない。

 

その不確実さが、アレ・ブレ・ボケと相性が良いんです。

デジタル写真のようにすぐ確認できないからこそ、現像後に「なんだこれ!」という写真と出会えることがあります。

それは失敗でもあり、発見でもあります。

 

コンパクトフィルムカメラやハーフカメラ、写ルンですのようなレンズ付きフィルムでも、そういう偶然は起きやすいです。

完璧に撮るというより、気持ちで撮る。

そういう撮影に向いている気がします。

 

フィルムカメラを探す

アレ・ブレ・ボケも含めて写真を楽しみたいなら、コンパクトフィルムカメラやハーフカメラ、中古フィルムカメラを探してみるのもおすすめです。中古品は状態差が大きいので、検索結果から比較して選ぶのが安心です。

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35mmフィルムを探す

フィルムの種類によって、粒状感や色味、粗さの出方も変わります。Kodak、FUJIFILM、Lomographyなど、好みに合わせて選ぶのが楽しいです。

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引用:現代美術用語辞典

現代美術用語辞典のアレ・ブレ・ボケの解説ページ

現代美術用語辞典より引用

アレ・ブレ・ボケ | 現代美術用語辞典ver.2.0

 

アレ・ブレ・ボケという言葉には、写真表現としての歴史や文脈もあります。

ただ、僕は専門的な評論をしたいわけではありません。

自分が写真を撮る中で、粗い写真、ブレた写真、ボケた写真をどう受け止めているのか。

それを自分の言葉で残しておきたいと思いました。

 

まとめ:アレ・ブレ・ボケは失敗でもあり、表現でもある

アレ・ブレ・ボケは、失敗でもあります。

でも、表現でもあります。

どちらになるかは、撮り手の考え方と、その写真に対する向き合い方で変わると思います。

 

ただブレているだけの写真。

ただピントが合っていないだけの写真。

ただ粗いだけの写真。

そう見える写真でも、自分がそこに理由や感情を見つけられたら、それは自分にとって大切な一枚になることがあります。

 

写真は、目の前のものを写すだけではありません。

そのときの自分の気分、視線、記憶、迷い、曖昧さまで写してしまうものだと思います。

だから僕は、アレ・ブレ・ボケのある写真が好きです。

 

きっちりした写真も好きです。

でも、少し揺れている写真も好きです。

ぼんやりしている写真も好きです。

粗い写真も好きです。

 

写真は自分を写す機械。

そう考えると、アレ・ブレ・ボケもまた、自分自身の一部なのかもしれません。

 

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