京都には、銀閣寺と南禅寺を結ぶ約2kmほどの
「哲学の道」と名付けられた道が存在する。
ある哲学者の京都大学教授が毎朝その道を通って思想に耽っていたことが由来とされているらしい。
ここは東京、渋谷の哲学の道
京都で毎晩、友人と酒を飲んでは
右から左へ流れてゆく言葉と街の音
人の流れに逆らうように千鳥足でアチコチと歩き回っては
ヤアヤア!と酒を注いでは、街中の人と話して笑い
安宿に戻り、熱いシャワーを浴びて
気づいたらまた安宿のベッドの上
狭い天井は、2段ベッドの下だったが由来する。
京都で過ごした長いような短いような生活の中で
友人と二人、真夜中に
哲学の道を無言で歩いたことを
ある夜、東京は渋谷の街を歩いていて
思い出したのです。
ここは東京、渋谷の哲学の道。
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Contax T2と歩く東京の夜
渋谷センター街を歩く時、
ここは渋谷の、いや東京の哲学の道だ!なんて
くだらないことを考えていた。
そしてなぜ、2011年頃から
なぜ、バスケットボールストリートと改名されたのかなど
いろいろなことを考えてしまう。
渋谷という街は汚いし、人も多いし、本当にネズミが真夜中
そこら中駆け回っているし、あまり好きな街ではないし
当然、渋谷で飲もう!なんて発想にもならないし
渋谷はライブやイベント参加のために行くだけのような街なのだけれど
僕は、どうしてもセンター街のあのネオン街を歩いていると
本当に「ここは本当に東京・渋谷の哲学の道だ!」なんて思ってしまうのです。
特にセンター街は人も多いし、うるさいし、そこら中にゴミは散乱してて
外国人観光客が写真を撮っていたり、若い血の気の多そうな男がたむろしては
若い女の子にナンパしていたりと本当に情報量が多い
もちろん、看板も煌々とあちこちでは光っているので
それらの情報量も合間って、とにかく情報量が多すぎるわけなのですが
そこを一人、ノイキャンがついているイヤホンを耳に装着して
歩いてみると、多すぎる情報量の中で視覚から入ってくる情報は
まるっきりシャットダウンされて、自分の内側にあることだけが
頭の中にぽつんぽつんと浮かんでくることに気づく。
そうか、ここまで情報量が多いとむしろ自分の中に完全的に殻にこもって
こういう感覚になるのか。
そうやって思いながら、僕は意味もなく真夜中の渋谷をカメラを持ってゆくのでした。
真夜中に、街頭も少ないあの京都の哲学の道では
むしろ一人で歩くには怖くて、自分の考えが出てこず
早く2km歩き終えたいという謎の使命感で歩いたことを思い出した。
そういう意味で、むしろ雑多な方が
何かを考えるのに、ちょうど良い。みたいな側面というのは
あることには、あるのだろう。
イヤホンなしでは通れないが。
ブログ、久しぶりの更新になりましたが
写真は毎日撮っています。
また、作品として写真集やzineなど作る予定です。
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