
京都放浪も早くも二週間が経過し、街の空気もだんだんと秋らしくなってきました。
紅葉の色づきも、ようやく「きたきた」という感じ。京都の秋は、ふわっとやってきたと思ったら、本当にあっという間に過ぎてしまうと京都の友人が教えてくれたので、今がまさにベストタイミングなのかもしれません。
そんな京都で今回体験してきたのが、紅葉を楽しみながらの座禅体験です。
京都といえば、寺社仏閣、紅葉、喫茶店、美味しいご飯、お酒、散歩、読書……いろんな楽しみ方がありますが、その中でも今回は「静かに座る」という体験に惹かれました。
この記事では、京都で実際に座禅体験をしてみて感じたことを、旅の流れや自分の心の動きと一緒にまとめていきます。
「京都で座禅をしてみたい」「初心者でも参加できる座禅体験を探している」「紅葉シーズンの京都で少しだけ内側を見つめる時間を持ってみたい」そんな方の参考になれば嬉しいです。
- 秋の京都に来たなら、紅葉だけじゃなく座禅も体験したかった
- インド、瞑想、音楽。座禅に惹かれたきっかけ
- 京都で座禅体験をするなら勝林寺へ。紅葉の季節にも気持ちがいい
- 座禅をリードしてくれた清陀さんの話がとても良かった
- 禅・座禅とマインドフルネスは違うと教わった
- 実際に座禅体験をしてみて感じたこと
- 警策のよもやま話。場がふっと和んだ時間
- 次は苔寺や鈴虫寺にも行ってみたい
- まとめ|京都で紅葉を楽しみながら座禅体験をするのは、とても良かった
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秋の京都に来たなら、紅葉だけじゃなく座禅も体験したかった

京都放浪をするにあたり、京都で見たいもの、やりたいことを軽く考えていました。
もちろん、秋の京都に来たからには紅葉を見たい。美味しいものも食べたい。お酒も飲みたい。好きな小説を読んだり、喫茶店でだらだら過ごしたりもしたい。
でも、その中にずっとあったのが、「座禅をしたい」「禅について少しでも触れてみたい」という気持ちでした。
京都には寺院がたくさんありますし、観光としてお寺を見るだけで終わるのではなく、自分の身体を使って何かを体験してみたいと思っていたんですよね。
ただ、普段の生活の中で「さあ座禅をやろう」と思っても、なかなかその最初の一歩が出ない。だからこそ、京都という土地にいる今なら、そのきっかけをつかめるかもしれないと思いました。
紅葉を見て、街を歩いて、美味しいものを食べて、夜はお酒を飲んで笑って。そういう華やかな時間ももちろん旅の醍醐味なんですが、その一方で、少しだけ静かな時間を持ちたいという気持ちも強くなっていました。
インド、瞑想、音楽。座禅に惹かれたきっかけ

ぼくは今年、短期間ではありましたがインドを放浪していました。
バラナシでガンジス河を見て、実際に沐浴もして、あの土地特有の空気に触れてきました。
インドに興味を持ったきっかけはいくつかあるのですが、大きかったのは音楽です。ビートルズとインドの関係にも以前から惹かれていましたし、大好きなandymoriのフロントマンである小山田壮平さんの言葉や雰囲気からも、どこかインド的な気配を感じていました。
そして、andymoriの「インナージャーニー」という曲の存在も、自分の中ではかなり大きかったです。
その曲を通じて、自分の内側を旅するという感覚に興味を持ちました。ただ遠くの土地に移動するだけではなく、自分の内面を見つめることもまた旅なのかもしれない、という感覚です。
その流れで、OSHOの本にも触れました。
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本を読んで、インドに行って、現地で風や音や人の気配に触れて、それでもまだ「わかった」とは言えないことばかりだったんですよね。
でも、だからこそ気になった。もっと知りたいし、体験したい。瞑想や禅を頭で理解するだけではなく、自分の身体で少しでも感じてみたいと思うようになりました。
インドへ行き、瞑想について考え、帰国して父が他界し、その後に友人と話して京都放浪が決まりました。
その流れの中で、この京都で出会った人たちとの縁も、街の空気も、全部どこかで音楽や旅とつながっているような気がしています。
ぼくはそういう見えないつながりに、かなり救われています。
京都で座禅体験をするなら勝林寺へ。紅葉の季節にも気持ちがいい

今回、一緒に京都放浪に来ていた友人が「座禅を組もう!」と言ってくれて、かなり良いスピード感で予約までしてくれたおかげで、だらだら生活をしていたぼくのお尻に火がつき、実際に座禅体験ができました。
結局、いろいろ考えたり書いたりしていても、旅に出ると毎日は目まぐるしく過ぎていきます。酒を飲んで笑っていたら、あっという間に日が経ってしまう。
だからこそ、今回ちゃんと連れ出してくれた友人のナツキには感謝しかないです。

今回体験した座禅は約1時間。
当時の体験としては1,000円で、事前予約が必要でした。
今後参加を検討する方は、最新の案内を公式ページで確認するのが安心です。
坐禅体験の案内ページはこちらです。
今回ぼくたちが座禅体験をしたのは、毘沙門堂 勝林寺さんです。
東福寺エリアにあるお寺で、紅葉の時期の空気感とも相性がよく、いかにも「京都で心を整える時間」という感じがあってとても良かったです。
お寺に着いた時点で、少し気持ちが切り替わるんですよね。街歩きや観光のテンションとはまた違って、自然と背筋が伸びる感じがありました。
座禅をリードしてくれた清陀さんの話がとても良かった

この日は勝林寺の住職さんが不在だったため、住職の修行時代の仲間であり、現在は妙心寺におられる清陀(せいだ)さんという方が、ぼくたちの座禅をリードしてくれました。
この清陀さんが、とても良かったんです。
話し方はぱきっとしていて、説明は明瞭で、テンポもよくて面白い。変に堅苦しすぎず、それでいて軽すぎない。初心者の自分たちにもわかるように、座禅の組み方や心構え、意識の向け方を丁寧に教えてくれました。
こういう体験って、内容そのものももちろん大事なんですけど、誰に導かれるかで印象がかなり変わると思っています。
「ちゃんと理解できるかな」「変に緊張しないかな」と少し身構えていたんですが、清陀さんのおかげでかなり自然にその場へ入っていけました。
ただ座るだけではなく、なぜこう座るのか、なぜ呼吸を意識するのか、なぜ姿勢が大切なのか。そういうことをほんの少し聞けるだけで、体験の深さが全然違うんですよね。
禅・座禅とマインドフルネスは違うと教わった

座禅の説明の中で印象に残ったのが、禅・座禅とマインドフルネスは似ているようで違うという話でした。
清陀さんの話を聞いて、自分の中でもかなり腑に落ちたんですよね。
最近はマインドフルネスという言葉が広く知られるようになって、集中力アップとか、ストレス軽減とか、仕事の効率を上げるための方法として語られることも多いです。
でも、禅や座禅はそういう「何かを得るため」のものとは少し違う。目的や成果を求めるのではなく、もっと無に近いところに向かう感覚がある、という話でした。
もちろん、外から見れば似ている部分もあるのかもしれません。でも、そこに向かう姿勢や心の置き方は全然違うんだろうなと感じました。
そういえば少し前に、夜に語り合ったセキサカさんとも、宇宙とか瞑想とかコーヒーとか、そういう不思議な話をしていたんですよね。そのときの感覚ともどこかつながっていて、今回の話はすっと入ってきました。
その夜のことはこちらにも書いています。
実際に座禅体験をしてみて感じたこと

約1時間の座禅体験を通じて、まず強く感じたのは、これはやっぱり修行が必要なことなんだということでした。
一度体験しただけで、頭を空っぽにできるわけではない。雑念は普通に出てくるし、身体も気になるし、呼吸だけに意識を向け続けるのも難しい。
自分を客観的に見つめ、過去や現在や未来が頭に浮かんでも、それに入り込まずにただ見る、というのは本当に難しいです。
でも、難しいから意味がないのではなくて、難しいからこそおもしろいのかもしれないとも思いました。
体験の途中で、「これはわからないな」と思う瞬間もあれば、「ほんの少しだけ、何かに触れた気がする」と思う瞬間もありました。
その片鱗が指先に触れたような感覚。それが自分にとってはとても大きかったです。
今回の座禅体験を通して得たのは、完成された理解ではなく、attitude(姿勢・心構え)のようなものだったと思います。
ぼくは禅についてきちんと勉強した状態で参加したわけではありません。かなり無学のまま参加しました。でも、逆にそれでよかった気もします。
体験すると、知りたくなるんですよね。学びたくなる。理解したくなる。
それって、勉強のすごく自然な入り方だと思うんです。
インドに行って、ガンジス河を眺めて、風や音に身を置いてみて、それでもわからないことが山ほどあって、今回の座禅体験でまたほんの少し前に進んだ気がしました。

この「なんとなく、わかったような気がする」という感覚は、人生においても、学びにおいても、ぼくはかなり大事だと思っています。
わからないなりに近づいた、その実感があるだけで、次の学びにつながる気がするんですよね。
警策のよもやま話。場がふっと和んだ時間

これはちょっとしたよもやま話なんですが、今回の座禅体験の中で印象に残ったのが、警策(きょうさく)の説明でした。
テレビなどで、お坊さんが長い棒のようなもので座禅中の人をぴしゃりと打つ場面を見たことがある方もいると思います。あれですね。
清陀さんが、「次は少し長めの座禅を組むので、その時は警策を使って回ります」と説明してくれました。
ただ、「叩かれるにもちゃんと説明が必要なので、見本で受けてみたい方いますか?」という流れになり、ぼくの相方であるナツキが手を挙げました。
その音が思っていた以上に良い音で、その場にいたみんなが少し笑って、空気がやわらかくなったのを覚えています。
厳かな場って、どうしても緊張感が強くなりがちなんですけど、そういうちょっとした笑いが入ることで、かえって自然体でいられた気がします。
そして座禅の最後に、見本になってくれたナツキには、警策の折れた部分で作られたものが贈られました。
さらに「お連れ様はいますか?」ということで、ぼくにも同じようにいただけました。
そこには「看脚下」と書かれていて、裏には紅葉。
この一連の流れも含めて、今回の座禅体験は終始とても気持ちの良いものでした。

禅について、もっと学びたいと思います。
次は苔寺や鈴虫寺にも行ってみたい

今回の体験を通して、京都にいる間にもう少しお寺や禅に近い場所へ足を運びたくなりました。
次は苔寺にも行ってみたいし、その前に鈴虫寺にも行ってみたい。
京都放浪は、だらだらしているようでいて、ちゃんとこういう小さな学びのきっかけをくれるのがいいですね。
昼は紅葉を見て、夕方は寺に座って、夜は河原町や木屋町、先斗町、鴨川のあたりで酔っ払っている。そんなバランスの悪いようでいて、妙にちょうどいい日々が続いています。

まとめ|京都で紅葉を楽しみながら座禅体験をするのは、とても良かった
✅ 京都での座禅体験は、観光だけでは味わえない静かな時間をくれる
✅ 勝林寺の座禅体験は、初心者でも参加しやすく、説明も丁寧で安心感がある
✅ 禅や座禅は、何かを得るためというより、無に近づこうとする姿勢そのものが大事だと感じた
✅ 一度体験すると、もっと学びたくなる。体験は学びの入口になる
✅ 紅葉の京都で座禅をする時間は、旅の記憶をより深くしてくれる
✅ 音楽や旅やインドでの体験が、京都での座禅体験につながっていたと感じた
今回、京都で紅葉を楽しみながら座禅体験をしてみて思ったのは、やっぱり旅の中には「静かな時間」も必要だなということでした。
歩いて、食べて、飲んで、笑って、それだけでも十分楽しい。でも、その中に少しだけ立ち止まる時間があると、旅の輪郭がぐっと深くなる気がします。
そして、禅や座禅というものは、一回体験したからわかったと言えるようなものではないけれど、そのわからなさごと持ち帰れるのが良いのかもしれません。
京都で座禅体験をしてみたい方には、こういう時間を一度ぜひ味わってみてほしいです。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございます。
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