
少しずつ、インドで撮ってきた写真の整理と現像を進めています。
今回も大量のフィルム現像をお願いしているので、デジタルで撮影した写真を先に見返しながら、あの旅の熱や匂い、空気感を少しずつ言葉にして残していきたいと思います。
前回の「写真で語る僕のインド放浪 バラナシ ガンジスに還る #1」では、ニューデリー、アーグラ、寝台列車までの流れを中心に掲載しました。
今回はいよいよバラナシ。インド旅の中でも、特に心を強く掴まれた場所です。
ガンジス川のほとりで見た景色、祭りの熱気、路地を歩く人々、そして説明のつかない祈りの気配。
バラナシは、ただの観光地ではなく、そこで暮らす人たちの生活と宗教と死生観が、同じ場所に静かに、でも濃密に存在している町でした。
今回も写真を中心にしつつ、旅の途中で感じたことを少しずつ書いていきます。
写真で語る僕のインド放浪、その前に。
葬儀、火葬、ひと段落。
父の死からしばらく、かなりバタバタとしていましたが、この間ようやく葬儀から火葬まで終え、とりあえずはひと段落といったところです。
少しずつ気持ちの整理もついてきたような、まだ全然追いついていないような、そんな曖昧なところにいます。
それでも、写真の整理だけは少しずつやっていきたいと思っています。
写真を見返すという行為は、ただの作業ではなくて、その時の自分や、その時見ていた景色にもう一度触れることでもあるので、心の状態によってはしんどいこともあります。
でも逆に、写真に触れることで少しだけ呼吸が戻ることもあるんですよね。
今回もまた大量に現像をお願いしているので、フィルム写真の仕上がりもとても楽しみです。
ポパイカメラさんで現像した写真については、こちらの記事でも公開しています。
写真の整理をしていたら、張り詰めていた糸が切れるみたいに、自分の体調を崩してしまいました。トホホ、という感じです。
旅のあとって、帰ってきてからのほうが体も心もあとから効いてくることがありますが、今回はそれに加えて家のことも重なってしまったので、なかなか思うように進みません。
ただ、そういう時でも写真はちゃんと残っていて、静かに待っていてくれる。そこが写真のありがたいところだなと思います。
写真で語る僕のインド放浪 #2
今回掲載する写真も、前回と同じこの組み合わせで撮影しています。
海外撮影、特にバックパック旅ではレンズを何本も持っていく余裕がありません。
だからこそ、軽いボディとオールマイティに使えるレンズ1本で挑みました。
Nikon D750 × AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR
広角から中望遠までカバーできるこのレンズは、街の風景も、人物も、ちょっとしたディテールも一通り撮れるので、本当に旅向きだと思います。
「これ1本で足りるかな」と出発前は少し不安もありましたが、インドのように何が起こるか分からない旅先では、むしろ機材を絞ったほうが身軽に動けるし、結果として良かったです。
楽天で探したい方はこちらからどうぞ。
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バラナシ

バラナシのガンジス川のほとりでは、このように死んだように眠る犬がたくさんいました。
そして、本当に死んでいる犬も少なくありませんでした。
このワンちゃんは寝ているだけでしたが、最初に見た時は一瞬ギョッとしました。
バラナシという町は、生と死の距離が驚くほど近いです。
日本にいると、死は日常から遠ざけられているものとして感じやすいですが、この町ではそうではありません。誰かの祈りも、誰かの生活も、誰かの死も、同じ空気の中に並んで存在している。
その感覚が、歩いているだけでじわじわと伝わってきます。

たまたま僕がバラナシを訪れた時は、シヴァ神のお祭りの時期でした。
その影響もあってか、とにかく人が多かった。
ガンジス川の周辺も路地も、普段以上に熱量が高かったんじゃないかと思います。
祈っている人、歩いている人、笑っている人、ぼんやり立っている人。町全体がざわざわしていて、でもただ騒がしいだけじゃなくて、信仰と祭りが混ざり合った独特の熱がありました。
インドでは宗教が生活の延長にある、とよく言われますが、バラナシではそれを本当に肌で感じました。

「バラナシわっしょい」の張り紙を、たまたま見つけて嬉しくなりました。
2018年に僕の大好きな小山田壮平さんがバラナシを訪れていたことで、この言葉を知っていたからです。
こういう、自分の好きな音楽や人が旅先とどこかでつながる瞬間って、やっぱりテンションが上がりますよね。
「ああ、ここに本当に来たんだな」と、旅が急に自分の中で立体的になる感じがありました。




バラナシの魅力は、ガンジス川だけではありません。
むしろ、路地を歩いている時間のほうが印象に残っているかもしれません。
細い路地の両側に生活があって、牛がいて、バイクが無理やり通って、人がすれ違って、急に静かになったかと思えば、すぐ先ではまた喧騒が始まる。
この町は、歩くたびに違う表情を見せてきます。
地図の上では同じ場所に見えても、実際に歩くと同じ路地なんてひとつもないような感覚になる。光の入り方、匂い、人の数、時間帯、その全部で町の顔が変わっていくんです。
そして、どこを切り取っても“絵になってしまう”という不思議さもありました。
だからこそ、逆に何を撮らないかも大事になる。全部撮りたい気持ちと、全部は撮れない現実のあいだで、カメラを向ける先を選ぶ時間もまた旅の一部でした。
バラナシという町にずっと感動していた
寝台列車に揺られて約15時間。
その時間そのものも、僕にとってはかなり良い経験でした。
でも、その長い移動の先に辿りついたバラナシという町に、僕はずっと感動していました。
それは「美しい」とか「有名」とか、そういう言葉だけで片付けられる感動ではありません。
もっと雑多で、もっと人間臭くて、もっと宗教的で、もっと現実的な感動です。
観光地として整えられた場所ではなく、生活の真ん中に祈りがあって、死があって、商売があって、笑顔がある。
そういうもの全部が、一つの町の中で同時に存在しているのを見ていると、人間ってなんだろう、暮らすってなんだろう、祈るってなんだろう、と考えずにはいられませんでした。
日本で普段生きているだけでは、なかなか触れない種類の感覚が、この町にはありました。
撮影後記
本当はもっともっと写真を掲載したいのですが、さっき書いたように体調がまだあまり良くないので、今回はこの辺りにしておこうと思います。
ただ、見返していると、やっぱりインドの写真は特別です。
どれも、ただの旅の記録ではなくて、自分の感情や、その時の温度まで一緒に閉じ込められているような気がします。
今回のバラナシ編も、まだほんの入口みたいなものです。
ガンジス川の朝、路地裏の空気、人と人との距離感、宗教と生活が混ざる町の圧倒的な密度。その全部を、もっとちゃんと残したいと思っています。
だからこそ、いずれ正式に写真集という形にしたいです。
少しでも興味を持ってくれたら、その時にぜひ手に取ってもらえたら嬉しいです。
アメリカ大陸横断縦断写真集「8700mile」についても、本当は紙で出版したいと思っているのですが、そこまでまだ動けていません。
今回のインド放浪の写真集も、できることなら紙で出したいです。
ページをめくる感触や、紙に印刷された時の写真の呼吸って、やっぱりデータとは違うんですよね。
そのあたりは追々考えていこうと思います。
まずは、体調を治します。
それでは。
追記
旅での出来事、本当はたくさんたくさん書きたいことがあります。
たくさんの人に助けられた話、あそこで騙された話、路地で笑った話、列車で驚いた話。
面白い話もいっぱいあるので、それはいずれこのブログで少しずつ報告していこうと思います。
本当に、旅の途中で出会った人たちには感謝しかありません。
インド旅は、ただ景色を見る旅ではなく、人に触れる旅でした。
そしてそのことが、あとから写真を見返した時にもちゃんと残っています。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
このブログでは、旅・インド・カメラ・フィルム写真・日々の記録をこれからも更新していきます。
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