それはハッピーエンドなんだ

脱・フリーランス!起業した30代独身男の写真や音楽、生活や旅のおはなし

<はてなブログ> フリーにはたらく <お題に投稿>


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ブログを何か書きたいなと思って記事について考えていたところ

はてなブログさんの企画がやっていたので参加します!

ちょうど僕もフリーで働いているので「はたらく」をテーマに書いていきたいと思います!

 

 

 

 

 

 

自分にとって「自由(フリー)な働き方」ってなんだろう?

 

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京都 木屋町 八文屋 にて

 

 

 

 

僕は今32歳のフリーランスで働いている独身男です。

 

フリーランスで働く、独立するという道以外頭になく今までやってきたので

 

それなりに今、自由に働ける環境を作ることが出来ました。

 

と、は言ってもそんな本当に手放しで草原を駆けめぐれるほど

 

自由でフリーダムな感じではありません。

 

自由っていっても、それは自由と責任のバランスがあると思っていて

 

そのあたりをきちんとできる人が、自由に一歩でも近づけるんじゃないかなって

 

思っています。

 

今日は、そんなことを思うきっかけになったこととか

 

書きながら思い出したので綴っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

きっかけは「たまごっち」

たまごっち 祝20しゅーねん! たまごっち 白

 

きっかけは、たまごっち。

 

小学生だったか、幼稚園だったか

 

とにかく物心はあった頃の昔の話。

 

うちのお母さんは、結構ゲームだとかエンタメ系のことが好きな人だったので

 

たまごっちが発売されたときに、真っ先にたまごっちを買って遊んでいました。

 

僕には、兄と姉がいて確か二人にも買い与えていたような記憶があります。

 

一番下だった僕はもらっていなかったか、お母さんと一緒に遊ぶ みたいな形だったかなぁと記憶しています。

 

そして、僕が早く仕事をしたい(アルバイトをしたい)と思ったきっかけは

 

この時だったと思います。

 

たまごっちは当時、いろんなデザインとか色とか柄がたくさん出ていて

 

その中で、お母さんは真っ白なたまごっちを持っていたんです。

 

なんのデザインもない、まっさらなたまごのたまごっち。

 

当時でも、それはレアだったのかなんなのか覚えていませんが

 

とにかくうちの母親はそれを大事にして、遊んでいました。

 

当時、柄や色がついたたまごっちよりそのシンプルな白いたまごっちに

 

すごく憧れがありました。

 

もちろん、お母さんと併用で遊んでいる僕はその白いたまごっちを使っていたのですが

 

僕のものではないというところから、なんだからしっくりきていなくて

 

お母さんに「白いたまごっちをちょーだい」と言いました。

 

すると、お母さんは「自分でお金稼いで買えるようになるまで我慢だね〜笑」と言いました。

 

お母さんはなんとなしに言ったと思うんですけど

 

僕はその時、初めてアルバイトという言葉や働くみたいなことを言われて

 

お金を稼ぐっていうことに意識を向けるようになりました。

 

 

 

 

 

お父さんの財布から盗んだ500円玉

14歳からのお金の話

 

そんなこんなで、白いたまごっち欲しい発言から

 

思いもよらぬところで、お金に対する意識があがった僕は

 

それから、お父さんの財布から500円玉を定期的に盗むようになりました。

 

もちろん、そんなものは2回目だったか3回目だったかにバレて

 

とにかく、とにかく怒られました。

 

こっぴどく叱られる、怒られるっていうのはああいうことを言うんだと思います。

 

うちの父親は子供には甘く、怒るようなこともあまりなかったけど

 

思い返せば、父親に怒られたのは

 

  1. お父さんの財布から500円玉を盗んだとき
  2. 中学生の頃お店でポケモンカードを万引きして捕まった時

 

のぐらいでした。(いや、中学でもやってるんかいっていう。。)

 

 

とにかく優しい父親だったので、怒る・叱るようなことはしなかった父親でしたが

 

500円玉事件と、ポケモンカード万引き事件のときは

 

顔をはたらかれた気がします。

 

それに、「そんな子に育てた覚えはない!」とドラマのように言われたのを覚えています。

 

普段怒らない父親だったので、怒り方を知らないっていうか

 

殴ったり、叩いたりもされたことなかったので、極端だったんでしょうね。笑

 

今思い出すと笑っちゃうぐらい、ドラマのような展開でした。

 

(親父、ごめんよ)

 

 

そんなことで、とにかく早くお金を正しい手順で稼ぎたいと思っていました。

 

 

 

 

コンビニは1日でやめた

先輩たちが語る、自分らしく働くヒント フリーランスの進路相談室

 

 

で、とにかくバイトがしたいと思っていた僕も

 

とうとう16歳。高校入学と同時にアルバイト

 

はじめてのアルバイトは、近所のローソンでした。

 

面接にいったら即採用、明日からおいでとオーナー。

 

厳しそうな男性オーナーで、当時40手前ぐらいだったかな。

 

僕のにこやかな対応に即採用もらえて、すぐに働くことに。

 

そして、翌日アルバイトに行って品出しとかいろいろ学んでるときに

 

「こんなことを四時間もやるなんて無理」と思ったのを覚えています。

 

高校にいって、学校終わって、夕方17時から21時までアルバイトして

 

翌日朝から高校にいって。。。

 

こんな生活絶対無理って思って、1日でやめました。

 

最悪な走りだしでした。

 

 

それでもお金を稼ぎたいと思っていた僕は

 

中学から親友だった友人と一緒に近所のスーパーのアルバイトに募集をします。

 

一人じゃなかったら頑張れるかも?という

 

まさに子供っぽい考え方ですが、それが結構うまくいきました。

 

近所のスーパーの木村店長は僕たち二人を即採用してくれて

 

すぐにバイトをすることに。そこのスーパーの主任とかチーフとかっていうのが

 

当時22歳とか26歳とかの女性社員の方々で、非常に可愛がってもらえたのを覚えています。

 

それから、スーパーのバイトではじめてお金を稼ぐことを覚えて

 

何ヶ月かして、僕はテレアポのアルバイトをすることになります。

 

ここが転機でした。

 

 

 

 

結果が出せれば結構自由かも。???

フリーランスになりたい人のための教科書:コネなし、スキルなし、オカネなしからフリーランスを目指す方法: 【副業】【在宅ワーク】【転職】を考えている人へ

 

 

高校二年生になる前の3月、テレアポのアルバイトをはじめました。

 

これが転機でした。

 

タウンワークで、バイト募集の掲載を見て時給が高かったので応募をすることに。

 

そこに電話番号が載ってて、ドキドキしながら電話をしました。

 

電話をする前に何を話そうか、簡単に考えて紙に書いて電話をしたのを覚えています。

 

電話をしたら、若い女性の声「お電話ありがとうございます◯◯◯ネットワークです」

 

事前に考えていた内容をスラスラっと読み上げると、電話口の女性が

 

面接の日時について話していました。すぐに日程を決めて面接へ。

 

・・・

 

はじめてのオフィス、緊張のあまりバックレようとしましたが

 

勇気を振り絞って会社の扉をあけて面接へ。

 

高橋さんという男性が面接で、即採用。

 

「浅岡くんね!君はできるよ大丈夫がんばろう!」

 

そう言ってくれてはじめてテレアポでバイトをすることに。

 

で、そのときはまだそこまで気づいてなかったんですけど

 

これが僕にとって大きな転機となります。

 

僕は家族の中でも、特に兄と不仲でしたから

 

兄は腕っ節の強いタイプだったので、喧嘩すればワンパンチで僕は負けます。

 

そう言った背景から僕は腕力はなかったものの弁が立つ子に育っていたんです。

 

よく考えたら父親も弁が立つタイプだったので

 

相性がよかったんですね。

 

そのテレアポの会社で、アルバイトとして成績ははじめから割と優秀で

 

初月はあまり成績があがらなかったものの二ヶ月目〜三ヶ月目にはもうすでに

 

トップ10には入る成績のアポイント数でした。

 

これは後で知ったのですが

 

テレアポの面接応募の電話をしたときに電話に出た女性が

 

「この子、絶対とれる!」と面接官の高橋さんに言ってたみたいなんですね。

 

電話をする前に、話すことを整理してまとめて書いておいて

 

あとは読むだけ、にしていたおかげで噛んだり緊張することもなく

 

スムーズにやりとりできたこと、丁寧にできたことが非常に好感をもたれたようでした。

 

考えてみたらそうなんですよね。

 

テレアポってのは、声の仕事でお客さん対応するわけですから

 

こういう下準備が必要なのは当然で、そんなことを自然にやれていた僕は割と

 

センスがあったってことなんです。

 

それから、そこの会社で結果が出れば割と自由なんだということを学びます。

 

 

 

数字が取れないと、「あと何件とれ」「取れるように頑張ろう」とか

 

いろいろ詰められることがあったんですけど

 

僕は割と成績がよかったのでそんな言い方をされることはほとんどなく

 

「どうしたら今よりとれるようになるだろうかね」と相談されるような立場になりました。

 

高校二年生の冬頃には、その会社にいた僕の5つ上のセトさんという男の人にも

 

気に入られ、仕事でいろんなことを教えてもらいました。

 

もちろん、今でもつながっているしその人から仕事のほとんどを学ばせてもらいました。

 

 

そのなかで、一番大きかったことは 結果が大事だ ということでした。

 

結果、とにかく結果。

 

どんなことでも結果がついてくれば、どうにでもなる

 

まずは結果を作ること、結果に貪欲であること。

 

言い訳をしない、しっかり自分が真面目に取り組んで結果を出す

 

仕事はそれが一番大事。

 

そしたら、自分が守りたいと思う考えや信念・人やその他すべてを

 

自分の力で守ることができる、そのためにまず結果なんだよ

 

 

と教えてもらいました。

 

セトさんは、綺麗事を言わない人だったので

 

「間違っていてもいいから、自分で判断して行動しよう」とか

 

「間違ってると気づいたらちゃんと謝って改善しよう」とか

 

すごくまっすぐな人でしたから、その背中がすっごくかっこよかったんですね。

 

そういう若い時の経験が

 

今、僕がフリーで働けている大きなきっかけになっていると思います。

 

 

フリーで働く、自由に働くっていうのは

 

きちんと結果を出して、誰にも何も文句を言わせない状況を作る

 

それだけ精一杯に貪欲に結果に向かって真摯に取り組むことで

 

手に入れることができる、瞬間なんじゃないかなって思います。

 

だから、例えば当時アルバイトしていた会社の外回りの営業マン

 

車で昼寝して、午後パチンコしてたんだよっていうような話を休憩中

 

チラチラ聞こえてきたことあったけど、やっぱりそう言う人は見事に

 

そんなに自由そうじゃなかった。

 

上司や社長にあれこれ言われたり、なんか全然かっこよくなかったし

 

何より、数字を追ってるってより追いかけられてる感じがして

 

自分で選択して、そうなっている感じがなかったんですよね。

 

自由って、言葉でいうとすごくいい雰囲気だけど

 

それだけ責任が伴うものだから、自由を感じる時

 

それはすごく大きな責任を一つでもクリアできたときなような気がします。

 

僕は、これからも自由を求めて責任のある仕事をひとつひとつやっていきたいって

 

思っています。

 

昔のことを思い出せて、いい気持ちでブログが書けました。

 

ちょっと長くなったけど、、はてなブログさんありがとう。

 

明日からまたしっかり自分の仕事をしようと思います。